のんびりいきます54

おっさんの独り言です

ふりかえる2

どうもです。

さて。
前回の続きです。
ターニングポイントがあり、
「定年まで一生懸命、身を粉にして働くことに疑問を感じたのです。」
という話でしたが、
そのターニングポイントですが、父親が他界した事に端を発します。
父親が他界したのは、本当に定年直前で、あと数週間という時期だったのです。
仕事人間という印象でしたが、定年後の生活に備えて、
金銭的な余裕も確保していましたし、
それまで我慢してきたことを、定年後にあれこれやりたいと語っていました。
それこそ「いつかはクラウン」の世代でしたので、
そのクラウンも契約直前だったのです。
頑張ってきたことによる結果としての退職後の生活を楽しみにしていた父親が、
突然、それを果たせずに他界した事。
この事が、私の中で、少しづつ考え方が変わるきっかけになったのです。
「お金を貯めても、使えなきゃ意味がない」
「そもそも、60になってから好きな事をやるって、歳とって身体が動かなくなってからできる事って限られてくるのでは?」
などなど、色々と疑問に感じる事が多くなってきました。
それでも、当時で10年以上、仕事人間をしてきた私が、周りの方たちの期待もありますし、すぐに切り替えができるわけもなく、そこから10年くらい疑問を持ちながら仕事を続けてきました。
そうこうしているうちに、時代も変わります。
私は、一応、IT業界なのですが、
「残業が当たり前」なんていう考え方は減り(職場に寄りますけど)、仕事の効率化や、無茶なスケジュールなんかも減り、以前よりも余裕が出てきてしまい、自分の現状や将来をあれこれを考えるようになってきたのです。
そもそも、すでに時代遅れの環境下での仕事でしたので、
「あと、20年弱、今のままでは定年を迎える前に技術者としてはダメになる」という焦りもありましたし、派遣とは違うのですが、お客様の職場でずっと働いていたこともあり、自社に対する思い入れも揺らいでいました。
さらに、お客様の職場でも一目置かれてはいましたので、馬車馬になって働くという感じでもなく、なんというか、その職場における「達成感」みたいなものが生まれてしまっていました。「もう、俺いなくても、大丈夫でしょ」って感じです。
あれ?少し話がずれてきましたね。
これは「働きたくねぇ~」と思い始めた要因の一つですので、いったん話を戻します。
まぁ、この気持ちとターニングポイントは、ほぼ同期しているのですが、
当時、40過ぎたあたりです。
なんか、数か月、休職したいなぁ。
そして、色々と好きな事して過ごしたいなぁ。という思いが強くなってきました。
今思うと、なんちゃって「達成感」を感じたことで、
労働意欲が無くなってしまったので、周りにも迷惑をかけますし、
とにかく、一時でも休みが欲しかっただけなのかも知れません。
この時点で、私は、仕事よりもプライベートを充実した生活に切り替えたいと、思っていたのです。ようは、定年後に好きな事という父親の生き方を真似ても、私自身が60まで生きているとも限らないのですから。
その頃の年収は、それなりに余裕がありましたので、お金を貯めるのではなく「使う」生活にシフトしようとはしていたのですが、人間、急に変われるわけもなく、「何をしようか?何がしたいんだろう?」と、無趣味な自分を自覚して、愕然とすることもありました。まぁ、車好きだったのと、アニメも好きだったので、まずはオタク街道へと進み始めた時期ですかね。
ただ、今までの自分の生き方を完全に切り替える事もできなかったので、精神的に不安定な時期でもあったと思います。
この気持ちが仕事ってなんだ?となり、「生きるための仕事はしたくねぇ」につながっているわけです。

収入を気にせずに「誰かのために仕事する」って、一つの理想形ではあると思うのですが、どうなのでしょうか?
少なくとも、私は「自分の為に仕事する」という感覚がないので、余計そう感じているのです。

今日は、ここまでとします。
では。