のんびりいきます54

おっさんの独り言です

思う事。

どうもです。

今朝の札幌は、今のところ晴れています。
気温は、まだ氷点下かな。

さて。
三連休最終日です。
何もしてないのですが、もう一週間ぐらい休みたいですなぁ(笑)
私の住んでいる地域は、雪が少なくて助かっていますが、
ほんの数キロほど北に向かうと、雪の量が違ってきます。
いつものドライブコースも、あんまり北の方には行かないようにしています。
用事もない私が道幅の狭くなった道路を使って、渋滞の一端を担うのも気が引けますので。。。
ただ、今晩から明日にかけて、市内直撃コースで雪雲がやってくるようです。
初の本格的な「雪かき」をしないとダメかも知れませんね。。。

さてさて。
世の中、物価高が叫ばれていますが、私が感じているのは「物が高い」ではなく「一円の価値」が下がっているのでは?という事。
収入が上がっていないと言われていますが、その分、物価が下がっていた訳で、一円の価値が上がっていたと思う訳です。
ただ、人は実際にもらえる金額で購買意欲が左右されますから、より安いものを求め、高価なものを買い控えてきたわけです。
ただ「欲しいもの」に関しては、高くても購入していたと思うんですよね。
バブル期までの日本は、見栄で「すべての物をより良い物に」という意識があったと思うのですが、今は「自分が本当に欲しいもの」にお金を使う意識に変わっただけなのでは?とも思います。
需要と供給とは言いますけど、需要の変化に対して供給が変化しなかったための不景気とも思います。日本人は私のように変化を求めない人が多いように思いますので、数年前まで、経営者の方々に「鼻の利く」人が少なかったのでしょう。
でも、難しいと思うのは、技術系でしょうか。
最先端技術で需要が急成長して会社が大きくなったとして、
その技術が当たり前になると「維持」する状況ができると思うのですが、そうなると急成長した時期のような収入は望めなくなるわけですが、次の技術への投資と維持するための投資が必要になるわけで、この転換が遅れると気付いた時には投資する余裕もないという事態に陥ると思うのですが、そんな企業が日本には多いのではないでしょうか?

・・・。なんか、長くなりそうなのでやめます。

さてさてさて。
先日、叔父が亡くなりました。
そして、初めて葬儀に母親など叔父の兄弟が呼ばれませんでした。
現在は冬ですし、当該地域は雪が多く、叔父の兄弟たちも高齢であることも要因の一つなのですが、今まで母親の兄弟すべての葬儀に少しだけでも顔を出していた私は、少しだけ寂しさを覚えています。母親の兄弟は仲がとても良かったのですが、叔父の家族があまり友好的ではなかったため、家族葬という形をとったために、兄弟の最後に合う事も出来ない状況が生まれてしまった事が、なんか複雑な心境です。
いや、本当に雪の影響もあるとは思いますよ。私もあまり行きたいとは思わない地域ですから。その家族がどう思っているかはわかりませんけど、私は嫌いではないですし、久しぶりに会いたいなぁっと思っていたくらいですから。
地理的に不可能ではない限り、母親は、最後に兄弟の顔をみたかったのではないかな?と思うわけです。
・・・。
思い出しましたけど、家族だけでおくりたいという気持ちもわかる気がします。
私の父親の時は、通夜や葬儀で忙しくて、あっという間に3日が経過して、ふと気づくと父親が遺骨になっていましたから。。。

でも、母親の話を聞く限りでは、遺恨が残ってしまったように感じますので、そういう意味でも悲しいかなぁ。。。



話題がぶれ過ぎでしたが本日はこれまで。
では。