のんびりいきます54

おっさんの独り言です

思い出してみる。番外編

どうもです。

今の札幌は晴れ。
しかし、昨夜からの雪が結構降りました。
もう、お出かけ前の労働はしたくないんですけどねぇ。。。
一時間のお出かけに一時間の労働を強いられるので、せめて税制とかで還元してもらえると少しは気も楽なんですけど(笑)

さて。
金曜日から小中高の記憶をたどってみたのですが、まぁ、全体で見ればそこそこ記憶が残っている方ではないでしょうか(笑)
現地に行ったり、実際に会えば思い出すことも多いとは思いますが、現状はこんなもんです。ただ、意識が向いたおかげで、昨日からポロポロと過去の記憶が蘇っております。。。
そんなわけで、今回は番外編として「地元にいた頃」の記憶です。
幼稚園のときは、佐藤先生?でした。さくら組とバラ組の二年保育だったんですが、どちらの時の先生だったかは覚えてません。私が通っていた幼稚園はすでになく、高速道路の国道からの導入路になってますね。この買収により移転したんですがグラウンドもない施設になったのと、私の年代をピークに子供の人口が減っていきましたので、知らないうちに潰れていました。。。

小学校の頃の記憶はですねぇ。少しいじめっ子の気があったかも知れません。なんか、校庭で先輩をからかっていた記憶が蘇りました。ちなみにその先輩は、大人になってから札幌の自動車販売店で偶然出会いました。学年が違ったのにお互いを覚えていたという事は、結構、遊んでいたんでしょうかね(その辺の記憶が曖昧です)
あとはなんでしょう?工作の授業でのこぎりで親指を切ったとか?ちなみに少し脂肪とかが出てたのに絆創膏で治したので、今もうっすらと傷跡が残っています。う~ん。その他も今だと何針か縫うような怪我も絆創膏で治していた気がするなぁ。。恐ろしい時代だ(笑)いや、親も「なにやってんの!」とあんたが悪いで片付けられていた気がします。ある意味、自己責任です。教育としては間違っていない気がしますよ。その後は気を付けたり怪我しないように工夫したりしましたからね。

中学生の頃の記憶は、不良との戦い?ですかね。本当に酷い時期だったんですよ。ただ地元では一番ひどかったのは私より少し上の世代です。その手の人達の下っ端の人達は普通の生徒に無意味に絡んでくるんですよね。「気に入らない」とかいう意味の解らない理由で。お互い接点はないんですよ。ただ向こうから見て気に入らないってだけです。リーダー格の人は筋が通っている感じだったので、そんなことはなかったんですけどね。まぁ、学校通しの抗争みたいなのも無くなっていたので、暇だったんでしょうね(笑)そもそも少し前の小学生の頃に一緒に遊んでいて仲の良かった人も多いので、急にあれこれ言われる筋合いもないですし、普通の生徒は「喧嘩していない」ってだけで体格も変わらないので、実際に喧嘩しても負ける事はなかったのではないかと思います。中学後編で少し書きましたが、私のクラスは不良と呼ばれる人がいなかったので、その手の人達からは狙いやすかったのでしょう。そのせいでしょうかね。割とクラスの結束が強かったのは。

高校の頃の記憶ですが、教室の記憶がほとんどないです(笑)でも、ついついタバコを覚えてしまったとか、体育館の裏にあったアーチェリー部の敷地で遊んでいたとか、裏山に登っていた(喫煙のため)とか、そんな記憶だけがポロポロと。。その時に一緒にいた人の記憶がないんですよねぇ。。誰といたんだろ?あとは部活の記憶だけです。部活自体は全道に行くレベルだったので、練習だけは厳しかったですよ。もともと筋肉質だったので全身筋肉だらけでしたよ。見せる筋肉ではなくて動くための筋肉ですからね。思い出せませんけど、身体は格好良かったんではないですかね(笑)

ふぃ。番外編はこんなものかな。
記載してから何名か新たに名前を思い出しているのですが、なにかイベントに絡むような感じではないかなぁ。。。書かない方が良い事も思い出しましたし(笑)

こうして思い出して見たものの「久しぶりに会ってみたいなぁ」と思う人が2,3人しかいないです(笑)これが普通なのか、私が薄情なのかはわかりませんが、もう35年から50年くらい前の話です。そう考えると覚えている方では?
でも、人生で小中高の12年って、その人の基本的な人格形成に重要な期間なのでしょう。

色々と考え深いですね。
ではでは。